まじめにふまじめ



“仕事は真面目にやるべきだ”

ほとんどの人が思う、
当たり前の概念である。


だけど、その”真面目”という部分は
人や文化によって違う気がする。


ある人は、
笑ったり話したりすることすら
“真面目ではない”
という捉え方をし、

またある人は、
休憩時間でも働くことが
“真面目である”ことの
証拠であると考える。


わたしも、1年前まで、
今とは違う”真面目”の
概念を持っていた。

働くときは、
とにかく一生懸命に
仕事のことだけを考える。

ふざけたり、ちょっとでも
力を抜くことは”真面目”ではない、
とにかく、同じ時間で
どれだけ仕事をできるか、が大事。

ミスをしたら、
“落ち込まないといけない”
そんな思い込みに
取り憑かれていた気がする。



それがなんとなく、
「ちがうな」と思い始めたのは
ドイツで他の国の人と一緒に
働いたことがきっかけ。


彼らは、
ミスしても基本謝らないし、
時間内でなるべくサボろうと考える。

だけど、仕事を与えれば
やることはちゃんとやる、


はじめは
むかついてばかりいたけど、
なんだかうまい働き方だなぁ、なんて
ちょっと羨ましくも思った。


そんな彼らに、
助けられたことも
多々あった。


27歳にして、
「自我の形成」、2回目。




そうして日本に帰って来て
拾ってくれた、デザイン事務所で
はたらき始めた。


そして、出会ったのである。
今のわたしが
理想としている働き方をしている人々に。


やることは常にあるはずなのに、
決して急いでない、
なんなら、お話もたくさんして。

そこで得る気づきもあるし
ただひたすら笑うだけの時もある。

なのに、ちゃんと仕事はする。


“真面目” なのに “真面目じゃない”
なんだか、そんな言葉が似合う。


これまで育った
日本じゃないみたいだ。




少し前から聞くようになった
「生きるように働く」

1年前まではたしかに、
これに憧れて、
こういう風になりたかった。


だけど、なんだか
今は違う気がしている。

『遊ぶように働く』

これだ。これが今の理想。


「遊び」っていうのは
決して不真面目なこと
なんかじゃなくて、

じぶんもたのしい、
ストレスがない、
だから、周りも
たのしませられる。

たのしいから、人が集まる。




「真面目に働く」ことが
結果を生むとは限らない。

より人に影響を与えるとは限らない。

自分たちが決めた
勝手な呪縛からはなれて、
もうちょっと、みんなあそぼう。







いしかわあやか