“丁寧に暮らす” をひっくり返す

「暮しの手帖」という雑誌を
昔から好きで良く読んでいる。


とにかく “暮し” への執着がすごい。
そして、ほんわかそうな雑誌ながら
攻めるところは攻める。

昔の方が結構攻めていたと思うけど、
今でも変わらず、
広告を断じてつけない、というのは
そういうことだと思うのだ。



そんなある種 “前衛的” な
この雑誌のちょっと前の号の表紙に
こんなフレーズがあった。



『丁寧な暮しではなくても』
暮しの手帖 第5世紀4号 表紙より)



これを一目見て、
「あぁ、あっぱれだ」と思った。




「ていねいな暮らし」

すごく響きも良いし、
なんだか幸せそうな匂いもする。

そして、そんな暮らしは、憧れる。



だけど、それがなんだか
周りで騒がれるようになってから、
自分たちを締め付けている、
そんな気がしていた。


まるで生きることを
演じさせられているかのような。


いつだって完璧でないと、
ご飯はおかずたくさんじゃないと、
彩りを気にしないと、
コーヒーはインスタントじゃだめ、

知らず知らずのうちに
呪縛みたいに自分にのしかかって
プレッシャーになっている。



いいじゃない。

カップラーメンを食べたって、
洗濯物を畳まずに放置したって、
二日酔いになるくらい酔っ払ったって、
たまには、いいじゃない。


暮らしって、そういうものじゃん。



それを、どの雑誌も寄ってたかって
特集している今のご時世、
きちんと指摘した「暮しの手帖」。

やっぱり、”ていねい” に作られた
雑誌だなぁ、と思わずにはいられない。



いしかわあやか