デザインとあたまとこころ



デザイン、を語りだすと
きっと、多くの人から怒られる。

わたしはデザインの
いろはも知らない。
そして、デザイナーでもない。


そして、「デザイン」とは
一言で表せないくらい、
広い意味がある、と思う。


だけど、ふと思うのです。


なんで自分の感覚的に、
良いものと悪いものとに
分かれるのか。


それは、家も、街中の看板も、
モノも、本の表紙も、照明も、
身の回りのもの、全部。


あっこれいいな、と思うものもあれば
これは変じゃない?と思うものもある。

デザイナーでもないのに、
すごく、ふしぎな現象だと思う。



『デザインはアートとは違い
目的や理由の上にあるべきだ』



いつかどこかで聞いたこの言葉。

なんだか難しく聞こえるけれど、
例えばこんなことを言うのだと思う。


新しく1冊本を作るとして、
その表紙の文字の大きさは
大きくすると思うのだけれど、

それは、「目に入りやすくする」
という目的の上で行うデザイン。


じゃあその文字に明朝体を使うとして
その文字に青を使うとして
、、、、、”それはなんでなの?”

という問いに、
答えられないといけない、ということ。


つまりは、”なんとなく” で
デザインを決めてはだめだ、ということ。



この考え方が合っているか、
間違っているか、
そんなことを論じるつもりはなくて、
(だってわたしはデザイナーじゃない)


ただ、なんだか、
これが自分の「良し悪し」を
決めている理由なんじゃないかなと
思えてならなかった。


“なんでこうするのか?” を
よく考えられてつくられたもの。

“これでいっか” と
なんとなくの理由でつくられたもの。



その理由を目で見て
頭ではすぐにはわからなくても、
自分の “直感” は
わかるんじゃないかって。


そう考えたら、
あたまとこころは繋がっている、
なんだか、そんな広い話になって
やっぱり人間ってすごいなぁ、なんて。




え?なんでそんなこと
考えるかって?




“なんとなく” ですよ。





















いしかわあやか