分け隔てないということ



「分け隔てなく」という言葉を
よく使うあの人は、素敵な人だった。


夜の星の光と、人口的に灯された明かり。
その人は「分け隔てなくきれいだ」と言った。

埋もれてしまう若手の作家さんの作品も
「分け隔てなく見れば、良いものだ」と。




これは、人を見るときにも
当てはめられるのではないかと思う。


人はどうしても、どうしても、
他の人を見るときに
フィルターをかけてしまいがちだ。


例えば、見た目、職業、年齢、性別、
そういう要素から勝手にフィルターをかけて
この人は “こういう人だ” ということを
なんとなく決めてしまって、
それで、自分の中でその人がつくられていく。


場合によっては、それだけで
相手への態度や行動まで変わる。
(ポジティブにもネガティブにも)



私がベルリンで働いて
すごく良かったなと思うのは
そういったフィルターが
極端に少なかったことを肌で感じたこと。


私が誰であれ、何歳であれ、
何人(なにじん)であれ、
女であれ、結婚していようが、

彼らにとってそんなことは、
どうでもよかったらしかった。


だから20代で女で外国人で
飲食の経験が浅くても
初めから「仕事を任せられない」という
レッテルを貼ることはなかった。

私という人間を見て、
仕事ぶりを見て、判断してくれた。

それは、とても心地が良かった。




「分け隔てなく」人を見るというのは
いろんな勝手なフィルターを取り除いて
その人自身がどういう人で
何を思って、どういうことができるか、
自分の目で見て判断する、ということ。


あの素敵な人が
星の光と人口的な明かり、
どちらも夜に浮かべば
綺麗な光と思ったことや

若い作家さんの作品だって
ブランドものではないけれど
立派に素敵なモノであると
感じたことと同じように。





なんだかこの言葉が、
あらゆる人間どうしの問題を
解決する糸口になるんじゃないか、
私はそんな気がしている。

いしかわあやか