暮しをまもる人

日々あふれるたくさんの情報。
さまざまな人が発する意見。

本当に正しい情報は何か、
だれの意見に従えば良いのか、

路頭にまよったとき、
わたしは、まずは、花森安治を
頼ることにしている。


彼の魅力について語り出すと
尽きないのだけれど、

ものごとを批判的にみられるところ
徹底的に「正しいこと」を
追求しようとするところ
「美しい」ものへの愛があるところ….

広告のない雑誌、『暮しの手帖』を創刊し、
独自の商品テストや政治にも切り込む。
庶民の「暮し」を守りたいと、
ただひたすらにペンを持ち続けた、
彼の自選集が、この本である。
そして、わたしの教科書でもある。

今だからこそ、
もう一度、読み直してみることにした。


さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている「民主主義」を 探しだしてきて
錆をおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主主義の「民」は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら
企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら
政府を倒す ということだ
それが ほんとうの「民主主義」だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また「幻覚の時代」になってしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための 
ぎりぎりの限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのか
なんのために 生きているのだ

「見よ ぼくら一銭五厘の旗」より



戦後からこれを言い続けていたというのは
鋭い目と、信念をもっていたからだろうな。

平和でいられる、ということは、
何も起こらないことではない。
身の回りで起きていることを
見て、聞いて、自分で考えて、
正しい、間違っている、ということに
気づくことができるからこそ、
まもることができる。

ものごとの本質はどこにあるのか、
なぜ、わたしたちは生きているのか、
なんのために国があり、
政府があり、役場があるのか
なんのために、仕事はあるのか。

わたしたちの「暮し」があるからなのだ。

そうだ、やっぱり正しい情報は大切。
だれかから聞くのではなく、
じぶんの力で手に入れよう。
そして、じぶんで考えよう。
正しいと思う行動をしよう。

わたしは、彼の信念のとおり、
じぶんの「暮し」をなんとしてでも
まもっていきたいから。

一戔五厘の旗(暮しの手帖社)

いしかわあやか